千葉県神社:柏市花野井:香取神社

花野井香取神社

今回は千葉県柏市花野井にある花野井香取神社のご紹介です。

隣には先日ご紹介した長泉寺があります。

参拝した時には小さなお子さんとお父さんが、遊んでいたので地元に根付いていることが分かります。

〒277-0812 千葉県柏市花野井1000−1

柏市花野井:香取神社

沿革

この香取神社は、凡そ、今より500年前の、文明年間に、旧社が建てられたと、伝えられて居ります。

そして、寛永五年(今より356年前)に、吉田雅楽之助外、氏子中で再建しその後、寛延元年(今より237年前)に、吉田甚左ヱ門と村役人、氏子中にて再建。

それから、嘉永五年(132年前)に、吉田官蔵外、氏子中118名にて力をあわせ、五ヶ年の歳月をかけて完成し、当時の金高で、千両の、莫大な金額であったと記されて居り、これが現在の社殿です。

又、大正の初期に、田中村社に指定されており、由緒がある広く知られた神社となりました。

この近辺では非常に立派な香取神社です。

此の鳥居は今から凡そ220年前に建造され、香取神社正面に建てられていました。平成21年秋季例大祭日に、新たな鳥居が奉献されたのを期に末社の正面に移設致しました。

明治以前は神仏混合の時代で、疫病災難除けや五穀豊穣などの祈願の為、境内に幾つもの御神、御仏の小さな叢祠が建てられていました。

平成21年から22年にわたり、点在していた叢祠を末社の場所に遷宮し、宮司の奉献で社の立て替え及び修復を施して、境内の此の場所を末社の集合形態祈願所と致しました。

参拝に来られた方々とご家族の幸福と繁栄を御祈願致します。

と書いてあります。

神社情報

八坂神社(やさかじんじゃ)

御祭神:経津主神(フツヌシノカミ)

例大祭:2020年は7月27日(月)例大祭

鎮座地:〒277-0812 千葉県柏市花野井1000−1

摂社

  • 妙見神社(開運・長寿の神)
  • 稲荷大明神(五穀豊穣の神)
  • 猿田彦大神(交通安全)
  • 三峯神社(家内安全・縁結び)
  • 浅間神社(安産・水徳の神)
  • 住吉大神(農耕の神)
  • 愛宕大権現(火の用心)
  • 天満宮(学問の神)
  • 秋葉神社(火難除け)

御由緒

香取神宮の主祭神はフツヌシ(経津主)として知られる。

その出自について、『日本書紀』(720年)では異伝として、イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)を斬った際、剣から滴る血が固まってできた岩群がフツヌシの祖であるとしている。また別の一書として、カグツチの血が岩群を染めイワサク・ネサク(磐裂神・根裂神)が生まれ、その御子のイワツツノオ・イワツツノメ(磐筒男神・磐筒女神)がフツヌシを生んだとしている。

その後『日本書紀』正伝では、天孫降臨に先立つ葦原中国平定においてタケミカヅチ(鹿島神宮祭神)とともに出雲へ派遣され、大己貴命と国譲りの交渉を行なったという。なお、『古事記』ではフツヌシは登場しない。

フツヌシと香取の関係については、『日本書紀』一書に「斎主神云々、此神今在于東国檝取之地也」とあり、「檝取(楫取、かとり) = 香取」に祀られることが記されている。

また『古語拾遺』(大同2年(807年)成立)で「経津主神云々、今下総国香取神是也」、『延喜式』(延長5年(927年)完成)所収の「春日祭祝詞」[原 4]でも「香取坐伊波比主命」と記されている。

祭神の性格としては、フツヌシが国土平定に活躍したという書紀の説話から、武神・軍神と見なされている。名称の「フツ」についても、記紀に見える神剣「フツノミタマ(布都御魂/韴霊)」の名と同様、刀剣の鋭い様を表した言葉であるといわれる。

軍神の認識を表すものとしては、『梁塵秘抄』(平安時代末期)の「関より東の軍神、鹿島・香取・諏訪の宮」という歌が知られる。一方、「楫取 = かじ(舵)取り」という古名から、古くは航行を掌る神として祀られたという見方もある。

そのほか、フツヌシとイハヒヌシ(伊波比主/斎主)という異名称の扱いや原始祭祀氏族には不明な点が多く、香取神宮の創祀も含めて諸説がある。Wikipedia

神事・祭事

 

参拝情報

参拝日:

御朱印

御朱印をやっているかは不明、
やっている場合は、正月三が日、例祭、七五三に限られると思われる。

歴史考察

鹿島・香取両神宮とも、古くより朝廷からの崇敬の深い神社である。その神威の背景には、両神宮が軍神として信仰されたことにある

古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼を含む一帯に「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっており、両神宮はその入り口を扼する地勢学的重要地に鎮座する。

この香取海はヤマト政権による蝦夷進出の輸送基地として機能したと見られており、両神宮はその拠点とされ、両神宮の分霊は朝廷の威を示す神として東北沿岸部の各地で祀られた。

また藤原氏からの崇敬も強く、藤原氏の氏社として創建された奈良の春日大社では、鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に祀られ、藤原氏の祖神たる天児屋根命(第三殿)よりも上位に位置づけられた。

中世に武家の世に入ってからも、武神を祀る両神宮は武家から信仰された。現代でも武術方面から信仰は強く、道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対で掲げられることが多い。Wikipedia

花野井香取神社 [今昔マップon the web]

 

境内案内

 

菩薩と愛染明王があるところなど、神仏習合の名残ですね。
こちらは不動明王。
うっすらと苔が一面に!!こういう苔も風情があって好き。
ゼニゴケも綺麗なコロニーを形成してました。
稲荷社
摂社が一杯
こういうところへ来て、仏像や彫ったものを見ると、本当に昔の人ってすごないーって思います。
凄いと言ところでもう一つ算術。
花野井香取神社
という事です。
貴重なものを見れて満足できる神社でした。!!