東国三社参りの一つ香取神宮に行ってまいりました。
千葉県の「香取神宮」、茨城県の「鹿島神宮」と「息栖神社」と関東には、伊勢神宮に匹敵するほどのパワースポットがあります。
しかも、この三つの社を結んだ直角三角形のエリアは強力なパワースポットとされているんですよねー。
という事で鹿島神宮の紹介です。
年間を通して3回から、4回は行くんですよねー。私にとってはパワースポット。
しかし、過去2連続で大凶を引き、3回目で大吉を引き当て、その年は波乱万丈でしたが結果すごいいい年になりました。散歩にも最高ですよ。
金運・開運にオススメな神様をすぐ見る
1.鹿島神宮とは
鹿島神宮 (鹿島様)鹿島神宮は関東平野を貫流する利根川の近くにあります。
古来、神宮といえは伊勢神宮、利根川の対岸にある香取神宮、そして鹿島神宮のことを指しました。
これを「東国の大社」といっています。
- 1-1鹿島神宮の歴史
- 1-2鹿島神宮のタケミカヅチノカミは最強
- 1-3鹿島神宮のご祭神
- 1-4鹿島神宮のご利益
- 1-5鹿島神宮の所在地
- 1-6鹿島神宮へのアクセス
1-1鹿島神宮の歴史
鹿島神宮の神は『古事記』『日本書紀』に登場するタケミカヅチノカミ (武甕槌神)です。
タケミカヅチはイザナギが火の神・カグツチノカミ (迦具土神) の首を斬ったとき、剣の鍔にほとばしった血から誕生しています。
国譲り神話でも、タケミカヅチは出雲の支配者・オオクニヌシを相手に交渉して国譲りを実現、アマテラスへの服従を誓わせています。
ニニギノミコトの天孫降臨前は、天下を平定した英雄神であり、武勇・剣の神でした。
朝廷が英雄神を崇め、社そのものが「神宮」と称されたのも当然。
七一〇年(和銅三)、絶大な権勢を誇った藤原不比等は平城京の春日山に「春日社」を創建して氏神としましたが、このとき神として招かれたのもタケミカヅチでした。
藤原氏は祭祀を司ったアメノコヤネの末商とされますが、不比等は権勢を磐石とするために武運の神、剣の神である彼を都の春日山に招いたのだと思われます。
万葉集』の時代、活で知られた東国の人々は防人としてはるばる九州に赴いたが、国の男たちに限って神宮のタケミカツチのもとにあつまって訓練され、辺地に旅立っていきました。
これを「鹿島立ち」といい今でも、それにあやかり勝負の前に参拝する人が数多くいます。
かような功績を見るに、武運・剣の神として崇められた男の面目躍如といったところでしょうか?
1-2鹿島神宮のタケミカヅチノカミは最強
天上世界から一派遣された武神タケミカヅチは、天孫ニニギが地上世界に天下る天孫降臨に先立ち、地上界の平定のために遣わされた神です。
タケミカヅチは、イザナギが火の神カグツチの首を切り落とした際に飛び散った血から誕生したという生粋の武神で、フツヌシと同一の神とする説もあります。
「日本書紀』には、オオクニヌシが統治していた葦原中国を二ニギに統治させるため、アマテラスが交渉役としてタケミカヅチ、フツヌシの二神を送り込んだことが記されていオオクニヌシに「国譲り」を承諾させたタケミカヅチらは、その後地上のまつろわぬ(服従しない)神々を討ち果たし、草木や岩、星の神までをも従えてニニギの統治の地ならしをしたとされています。
天孫降臨から時が経ち神武天皇の時代になると、タケミカヅチは再び神話に登場。
日向から大和へと東征する神武天皇ら一行は、熊野で土地の神の抵抗にあって大苦戦していました。
タケミカヅチはタカクラジという人物を通じて神武天皇に神剣フツノミタマを授け、この霊威によって神武天皇は窮地を切り抜け東征を成功させることができたといわれます。
全国の武道場に祀られるこのようにタケミカヅチは皇室を守護する武の神として、篤い信仰を集めてきました。
タケミカヅチを祀る神社の中心は茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮で、社伝では創建は二千年以上前の神武天皇の時代だという事です。
また鹿島神宮と利根川を挟んで相対するように鎮座しているのがフッヌシを祀る香取神宮で、二社はどちらの境内にも地震を抑えるという要石があるなど、深いつながりで結ばれています。
現在でも武道場の床の間には、アマテラスを中心に、向かって右にタケミカヅチ、左にフツヌシが一対で祀られるのが通例です。
また鹿島神宮には、タケミカヅチが悪神を退治する際に用いた技が起源だとする「鹿島神流」という武術流派が伝承されており、剣術、柔術、薙刀など数々の武芸を伝えています。
現在ではスポーツの神としても信仰され、地元の鹿島アントラーズはシーズン開幕前には必勝祈願を欠かさず、楼門の右わきには大きな絵馬が毎年飾られ必勝祈願がされている。
1-3鹿島神宮のご祭神
暮らしと仕事の神様、武勇の神、剣の神・タケミカヅチを祀ります。
ご祭:神武甕槌神。
代表的な神社は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)
鹿嶋神社(兵庫県高砂市)などになります。
1-4鹿島神宮のご利益
ご利益天下和平 武芸の上達
1-5鹿島神宮の所在地
所在地 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
1-6鹿島神宮へのアクセス
JR鹿島線・鹿島神宮駅より徒歩約7分
2.鹿島神宮の境内
鹿島神宮の境内の写真を見ながら境内を歩いている気分になってくださいね。
2-1鹿島神宮の駐車場
樹齢800年の椎の木が駐車場で出迎えてくれます。
2-2鹿島神宮の鳥居から参道
2011年の東関東大震災で倒れたのですが再建しました。
いつもなら両脇に出店が‥‥ない。。
2-3鹿島神宮の参道
境内の案内ですが、とにかく広い。
2-4鹿島神宮の楼門
摂社です。
見事な楼門。
水戸黄門のお父さんが奉納したんですね。へー
右に本殿があります。ずーっと奥に奥宮。鹿島は奥宮にも絶対行きましょう。
お祓いをする場合はこちらで受付。
何回か来てますが初!!大助人形といって別名お鹿島様。鹿島を守った人たちをいつまでも尊敬してるなんてさすが鹿島。
2-5鹿島神宮の本殿
本殿右から。
コケと共に。風情があるでしょ。
本店正面。
摂社高房社。本殿の前にお参りするのが作法とか・・・しまった。
これも初!大豊竹というそうで、五穀豊穣のシンボルとして、当番の人が1年大事に育てるそうです。
奥宮への道から逆の楼門、本殿。イヤーいい天気だ。
いよいよ奥宮までの参道です。木々が茂っていて最高です。
大概ここで家族と離れるというかおいていかれます。
というのも苔に夢中で・・・・・。歩かないから。
2-6鹿島神宮のさざれ石
国歌の「さざれ石の~いわおとな~りて」のさざれ石
香取神宮もあったなー
2-7鹿島神宮の熱田社
荒ぶる神スサノウですが、五穀豊穣の神でもあります。
2-8鹿島神宮の鹿島八景
見上げるとうつくしい空と木々がいいコントラストです。
2-9鹿島神宮の奥宮
こちらは徳川家康が奉納した奥宮
2-10鹿島神宮の要石
これではないです。いつの間にか、こんなオブジェまで・・・・。
香取神宮の要石とはまた形が違うんだよねー
2-11鹿島神宮の御手洗池
ここまでの経緯を書いてませんが、結構きつい坂です。生きはいいのですが、帰りは娘に押してもらいながらやっと。
こちらは大鳥居を作る際に伐採されましたご用材の切り株。樹齢600年。
2-12鹿島神宮奥宮のご神木
頑張ってるねーって抱き着いてきました。
行くときにはいなかった鹿がいた!!
2-13鹿島神宮の稲荷社
最後は楼門をくぐった後、お稲荷様へ、こちら知られざるパワースポット。
以上鹿島神宮のでした。香取神宮も高速使うと15分くらいで行けるのでお勧めですよ。