大日如来像といえば、有名なものを上げるだけでも数多くあります。
岐阜・横蔵寺像、鎌倉時代。
京都・東寺講堂像、現存像は室町時代の再興。
奈良・円成寺像、平安時代末期、運慶作。国宝。
和歌山・金剛峯寺像、平安時代前期、元西塔本尊。
栃木・光得寺像、鎌倉時代、運慶作。
東京・真如苑 像、鎌倉時代、運慶作。
大阪・金剛寺像、鎌倉時代。国宝。
と如来の中でも別格かのように思われているのでしょうか?名作が多くありすぎます。
この他にも全国にたくさんあり、おそらく如来というと大日如来を思い浮かべる人が多いかと思います。
この記事では上にあるお寺の大日如来をご紹介します。
大日如来像とは
大日如来は、この宇宙にあまねく広がる点では超越者だが、万物と共に在る点では内在者とされ、「万物を総該した無限宇宙の全一」、全一者であり、万物を生成化育することで自己を現成し、如来の広大無辺な慈悲は万物の上に光被してやまないとされています。
こうしたことからも大日如来像が多くつくられたのかもしれません。
有名な大日如来像
それでは有名な大日如来像を簡単にご紹介します。
岐阜・横蔵寺・大日如来像
制作は鎌倉時代、1183年・筑前講師作 桧材、割矧造 玉眼 彩色)〈像高70.1cm〉です。
西国三十三所観音霊場の最後(33番)の札所である谷汲山華厳寺の西方、さらに奥まった山間の小さな盆地に位置しています。平安時代 – 鎌倉時代の仏像等、多くの文化財を有する古寺です。
現存する仏像の中で、大日如来像(重要文化財)には平安時代最末期の寿永2年(1183年)の銘があり、同年、三重塔の本尊として仏師筑前講師により造立されたことが明らかになっています。
また、妙心法師の即身成仏がある事でも有名。
京都・東寺講堂・大日如来像
現存像は室町時代の再興。立体曼荼羅の中心に座し見ているだけでも圧倒されます。
講堂の大日如来像は文明十八年(1486)の土一揆の争いで焼失し、明応六年(1497)に再建されました。
五智如来すべて、同様に焼失再建されており、すべてが重要文化財に指定されています。
奈良・円成寺・大日如来像
平安時代末期、運慶作。国宝。
若き日の運慶会心の作だといわれています。この大日如来像を作るのに運慶は11か月をようしたとされ、細部までこだわり、世界一足の裏が美しい仏像という異名があります。
和歌山・金剛峯寺・大日如来像
平安時代前期、元西塔本尊。
伽藍西塔の元本尊で、金剛界の大日如来です。西塔は仁和三年(887年)に創建されたものと伝え、本像はその当初像と考えられる。高野山における数少ない平安初期像として大変貴重です。
金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院です。
和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置し、100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市となっている。
京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地である。
栃木・光得寺・大日如来像
鎌倉時代、運慶作。
本像と厨子は、足利義兼が、晩年、仏道修行の為に自ら背負って諸国をまわったといわれており、義兼死後、樺崎寺に祀られていましたが、明治初年の廃仏毀釈により光得寺(こうとくじ)に移されたものです。
寄木造(よせぎづくり)、宝冠を欠いていますが宝髻(ほうけい:頭上に結っている髪)は高く、髪筋はよく通っています。
相貌は大日如来の威容を保っています。
この大日如来像の手は、金剛界大日如来を表す智拳印(ちけんいん)を結んでいます。
光背も日輪を中心にした波文(はもん)の銅板で、台座の筒型敷茄子は珍しいものです。
蓮弁には所々に水晶の玉が飾られており、荘厳な気品溢れる作となっています。
また仏像を納めた筒型の厨子は、両扉にバン(金剛界・右)、ア(胎蔵界(たいぞうかい)・左)を表す種字(しゅじ)が入っていて、内部には金剛界三十七尊を表した37躯(現存28躯)の仏が飾られています。
これらの点から、鑁阿寺(ばんなじ)に伝わる文書『鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第』にみられる「三尺七寸厨子内」に納められた「金剛界大日并三十七尊形像」にあたるものと見られます。
仏像・厨子ともにすぐれた作品で、運慶の作と推定されています。
東京・真如苑・大日如来像
鎌倉時代、運慶作。
2008年3月に、日本彫刻史を研究するうえで重要な作品と目されていた大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)が、海外のオークションに出品されました。重要な美術作品が海外に流出するおそれがあるとして大きな話題となったなか、日本の宗教法人である真如苑(しんにょえん)がこの仏像を落札しました。
現在は東京・千代田区に、真如苑が所蔵する仏像や仏教美術を一般公開する「半蔵門ミュージアム」で見ることが出来ます。
大阪・金剛寺・大日如来像
鎌倉時代。国宝。
密教の図像でも特殊な形式と考えられる尊勝曼荼羅〔そんしょうまんだら〕を、大日如来(平安時代)、不動明王(鎌倉時代)、降三世明王(鎌倉時代)の一組であらわしています。
平成大修理の大規模調査の結果、胎内にあった墨書から、「不動明王坐像」は仏師・快慶の高弟、行快(ぎょうかい)の作で、天福2(1234)年に完成したこと が判明。また、3体がそろうまで約50年という歳月がかかっていたことも判明し、平成29(2017)年3月10日、国宝に指定されました。