弥勒菩薩、半跏思惟像で有名で、大ファンの人も多い菩薩。
今回は弥勒菩薩様について解説します。
1.弥勒菩薩とは
釈迦の救済事業を継ぐ後継者です。
1-1弥勒菩薩の別名
●マイトレーヤ、慈氏菩薩
1-2弥勒菩薩の化身
●布袋
1-3弥勒菩薩の出生地
●インドの波羅奈国
1-4弥勒菩薩の所在
●兜率天
2.弥勒菩薩について
五十六億七千万年後「弥勒」とは、古代インドのサンスクリット語で「慈から生まれたもの」という意味のマイトレーヤを漢語に置き換えたものです。
2-1弥勒菩薩は釈迦の後継者なのか?
インドの波羅奈(パラナシー)国に生まれた弥勒は、釈迦が悟りを開 いてまもない頃、その弟子になりました。
臨終にあたり、釈迦は彼に仏教の真髄を伝え、次のように語りました。
わたしはこの世で仏になる前は、兜率天という世界で苦行し、そこに住む諸天(神々)に説法していた。あなたもそこで修行してきなさい。
そしてこの世に生まれ変わり、わたしの教えに漏れた人びとを、わたしに代わって救ってほしい。
2-2兜率天とは?
ちなみに、兜率天とは、仏教の世界観に現れる天界の一つです。
この約束どおり、弥勒は兜率天で修行して、菩薩となっていまも修行をつづけているとされているのです。
3.末法思想の世界観
釈迦の説く、仏法における「予言思想」である末法思想の世界観は、ときとともに仏法がすたれていくという考え方で、六世紀頃に西北インドで成立し、中国・日本へと伝えられました。
その世界観とは、真の仏法が正しくおこな(1mわれる正法の時代が千年あるいは五百年つづき、次の千年は信仰が形式的になり悟りが得られない像法の時代。
そして、仏教がすたれきって救いがたい末法の時代が一万年つづき、その後は無仏という暗黒時代が延々とつづくことになる。
ところが、釈迦が亡くなって五十六億七千万年後には、兜率天から弥勒菩薩がこの世に降りてきて、華林園内の龍華樹という木の下で悟りを開き、釈迦如来に代わってすべての人を救い、世界は永遠の仏国楽土となるとされています。
われわれは生存中にその恩恵にあずかることはできないが、死後、兜率天にのぼって弥勒菩薩のそばで過ごし、五十六億七千万年後に弥勒に従って地上に降りてきて、弥勒の説法を聞いて救われる。という教えです。
3.弥勒信仰
仏法における「予言思想」である末法思想の世界観は、弥勒信仰なのです。
兜率天での弥勒菩薩は、法衣だけをまとって装身具もつけず、髪も結っていないのに対して、菩薩像の姿は古代インドの貴人をもとにしており、頭髪は髷を結い、宝冠をつけ、身体には胸飾りをつけた世俗の姿で、仏と人の中間に位置することを示しています。
日本の弥勒信仰日本の弥勒信仰は仏教伝来からまもなく盛んになりました。
飛鳥時代につくられた京都・広隆寺の弥勒菩薩像、白鳳時代の奈良・当麻寺の弥勒如来像などが、その証拠と言えるでしょう。
3-1弥勒信仰の歴史
『日本書紀』によれば、聖徳太子の寵臣、新羅系の秦河勝がいまの広隆寺を建立したといいます。
当時は、弥勒信仰が盛んな新羅の僧が多数来朝していことも影響しています。
真言宗を開いた空海は、高野山を将来の弥勒浄土と見立て、そこで生涯を閉じて、弥勒の出現を待機しているとされています。
真言宗と民間信仰の接触によって弥勒信仰は全国に広まっていきました。
また、中国では十世紀に実在した布袋和尚が弥勒の生まれ変わりと言われることから、七福神の一人である布袋を弥勒と同一視して信仰しています。
弥勒信仰は、さまざまなバリエーションで日本の土着的な信仰と習合し、念仏踊りに類する弥勒踊りといった習俗を生みだしたりもしました。
3-2日本の弥勒菩薩像の特徴は?
日本でもっともよく知られる弥勒像は、広隆寺の弥勒菩薩像です。
右足をまげ、右足首を左膝頭にのせて腰かけ、右手の中指の先を右の頬に軽く触れ、薬指を軽く折り曲げている姿で、半跏思惟像と呼ばれています。
この姿にファンも多いです。
かすかに笑みをたたえるこの姿は、まだ悟りを開く前の釈迦が、どうすれば人々を苦難から救うことができるかを思い悩む姿をほうふつさせることも人気の要因ではないでしょうか?
3-3弥勒菩薩のご利益
●衆生済度(民衆救済)
3-3弥勒菩薩の有名な寺院
●広隆寺、中宮寺
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