千葉県南房総市:檀特山 小松寺

今回は南房総市(旧千倉市)の檀特山 小松寺ご紹介です。

苔の綺麗な小松寺ですが、関東1都6県の美しい花木を有する寺院によって構成された東国花の寺 百ヶ寺に、小松寺は紅葉で登録されています。

私は苔がすごく綺麗で大好きなお寺です。

後猫が二匹います。こちらは娘が大好きだそうですので任せました。

沿革

◆文武天皇の御代(683~707年)に役小角〔えんのおづぬ=役行者〕によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718年)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山檀特寺』とする。
※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。

◆天長8年(831年)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。

◆平安時代前期、火災により寺院が全焼。しばらくは廃墟のままとなる。

◆延喜20年(920年)国司安房守住吉朝臣小松民部正壽(こくし あわのかみ すみよしのあそん こまつみんぶ まさかず)により再建される。
寺名を『檀特山医王院巨松寺』と改められる。七堂伽藍が整い、薬師如来が祀られる。
※七堂伽藍とは、本堂・塔・講堂・鐘楼堂・経蔵・食堂(または中門)・僧坊のことをさす。

◆年を経て次第に衰えてしまうが、承安4年(1174年)中興する。開基第一世玄海。

◆その後、徳川家康より12石7斗、里見義康から53石6斗の寄進をうけ、広い山林と田畑をもつ修行道場ともなり、多くの僧が集う寺院となる。

◆安政元年(1854年)、またしても火災により全焼。

◆現在の小松寺がいつ建て直されたのか、古文章等は残っていないが、本堂正面の龍の彫刻には「安政二丙辰十一月吉日、相州三浦郡浦賀 彫工 後藤忠蔵橘重武」と彫られている。この銘から、安政2年(1855年)に再建されたと考えられる。

◆宗派について
当山は、中世のある時期までは天台宗であったと考えられている。二度の大きな火災によ古文章の記録は残されていないが、天台宗として35代、その後、真言宗に改宗されたと伝えられている。現在は真言宗智山派として49代目の住職が継承している。

神社情報

名称:檀特山 小松寺(だんとくざん こまつじ)

御祭神:薬師如来

宗派:真言宗智山派

鎮座地:〒295-0013 千葉県南房総市千倉町大貫1057

0470-44-2502 info@komatsuji.jp

神事・祭事

安産祈願

一般的には妊娠5ヶ月目の戌の日におこないます。ご妊婦様のお腹に腹帯を巻き、子宝に恵まれたことを祝い無事安産を御祈願いたします。戌の日にとらわれず、母体と胎児の体調を第一に考えお参りください。

子宝祈願

子どもを授かりたいと願いながらも、なかなか子宝に恵まれないご夫婦にとっては切実なお悩みです。当山にて子授け成就の祈願をおこない、御祈祷の御札、ご夫婦で携帯していただく御守り(護符)、腕念誦を授与いたします。子宝祈願はご夫婦揃って御祈願を受けられますことをお勧めいたします。

各種祈祷

護摩祈祷をお申込の方は、内陣巡り(御本尊のお足元までご案内)ができます。
※授与品は護摩祈祷の有無に関係なく同じものになります。

原則として御祈祷は、ご本人様が直接お越しいただくのが最良ですが、遠方の方、病床の方、またはご都合がつかない場合などは、当山にて御祈祷をおこない、授与品を宅急便(ヤマト運輸 代金引換)にてお届けいたします。詳しくは、お電話・メールにてお問い合わせください。

護符・霊符

ご依頼者様の願望成熟を願い、その方の為に念じ謹製される護符は、他に同じものはない特別な御守りといえます。ご依頼者様のお願いごとやお悩みに最もふさわしい護符を「鎮宅七十二霊符」「武帝応用五十八篆霊符」よりお選びし謹製いたします。

護符はご依頼をいただいてから謹製いたします。身を清めた後、一枚一枚に念を込め手書きいたしております。ご参詣の際に直接ご依頼をいただいた場合は、お渡しまで数日かかることがございます。宅急便(ヤマト運輸)による発送も可能です。

これだけの種類の護符があるお寺も珍しいです。

神事催事の詳細はこちらからどうぞ。

小松寺では毎月8日(午前11:30頃より)お護摩を焚いています。どなた様でもご参加いただけます。また、当日ご参加できない方も、ご参詣の際、本堂前に置かれた護摩木にお願い事を書いてご奉納ください。お焚きあげしてご祈願いたします

御朱印

御守り、御朱印は本堂の左側にあります「納経所」にて頒布しております。

境内案内

仁王門 仁王像(金剛力士)

 

鐘楼 梵鐘

小松寺の梵鐘は、応安7年(1374年)高階家吉正氏に寄進されました。周囲の山々にこだまするたいへん美しい鐘の音を響かせておりましたが、県指定文化財となり、現在はその保護のため鐘を突くことはありません。小松寺の長い歴史が染み込んでいるいる寺宝のひとつです。梵鐘には「為千代若丸(ちよわかまるのために)」と記されています。千代若丸は小松寺の七不思議にも登場する安房守(あわのかみ)の嫡男の名です。
《鐘楼の彫刻 安房郡國分村 彫工 後藤義信》

本堂

本堂には、御本尊《薬師如来像》をはじめ、様々な仏像が安置されています。御守り、御朱印は本堂の左側にあります「納経所」にて頒布しております。

 

薬師堂

白山社

本堂の右側に白山社への登り口があります。縁結び・縁切りの神様として知られています。良縁を願う方、悪い縁を断ちたい方は是非お参りください。

もしかして・・・ヒダゴケ!!この日一番テンションが上がりました。レアものだよこれは

結界門

小松寺の参道には木造でできた鳥居があります。お寺なのになぜ鳥居が?と不思議に思われるかもしれませんが、これは神仏習合(神と仏を結び付けた信仰)の名残りといえます。鳥居は人界と神域とを分ける結界でもあり、この先が聖なる領域であることを意味しています。

池 遊歩道

小松寺の前には、自然のなかをゆっくり散策できる池や遊歩道があります。周辺の森は千葉県指定自然環境保全区域です。寺の裏山では、毎年夏になるとヒメハルゼミが発生しています。

寺宝

小松寺には十二件、二十三体もの中世以前制作の仏像が伝来しています。県内にはこれほど多くの古仏を伝える寺院は他に無く「古仏の宝庫」ともいわれています。また、中世のものとしては県内で最大級の梵鐘にも寺院の歴史が秘められています。

木造薬師如来《県指定有形文化財》

年代:平安時代 初期
檀特山 小松寺の御本尊
像高147.3cmを計るほぼ等身の立像である。榧(かや)材の一本造りで、体奥がおよそ12cmと極端に薄く、やや首を曲げ頭部を前方に突き出す側面が特徴的。左手に薬壺を持つ。県内木彫仏では最古の像で、制作は1100年以前の平安初期に遡るとされる。寺伝では60年に一度の御開帳とされ、秘仏として保管されている。

十一面観音菩薩坐像
《国指定重要文化財》

年代:鎌倉時代 初期
像高61.5cmを計る鋳銅製三尺坐像。
珍しい四臂の十一面観音像で、宝髻を結い、頭上に十一の菩薩面を載せ、宝髻頂上に仏面ひとつを頂く。秀でた眉に切れ長の目を持つ温顔。顔の輪郭は丸みを帯び、引き締まった表情を持ちながらも、全体的には温和で可憐な趣が勝る。東京国立博物館に保管されている。

梵鐘《県指定文化財》

年代:南北朝時代 応安7年
大工山城権守 宗光 作
高階家吉正氏に寄進されたもので、「為千代若丸(ちよわかまるのために)」と記されている。千代若丸は小松寺の七不思議にも登場する安房守(あわのかみ)の嫡男の名である。中世のものとしては、県内で最大級の梵鐘。

不動明王立像《市指定文化財》

年代:平安時代 中期
像高は等身やや小の139cm
髪を頭頂にすき上げ、いったん花結びのようにし、さらにその先端を弁髪として左肩に垂らす髪型が特徴的。体軸はバランスがとれ引き締まり、腰裳に現された紐を貼り付けたような並行の衣文線も造形上のアクセントになっている。現状は毘沙門天立像と共に、本尊薬師如来像の脇侍となっている。

毘沙門天立像

年代:平安時代 後期
像高155.9cmを計る等身の立像。
五束に結ぶ垂髻の形状、動きの少ない体勢、比較的控えめな憤怒相である。不動明王立像とともに本尊薬師如来立像の脇侍となっている。

御前立薬師如来立像

年代:平安時代 後期
像高169.8cmを計る等身の如来立像。
秘仏薬師如来の安置される厨子の前方に祀られている。秘仏薬師如来立像と細部に一致する特徴が多くみられることから、当初から御前立尊としてならって造像されたと考えられる。

役の行者半跏像

年代:鎌倉時代 前期
坐高約75cmを計る等身やや小の半跏像。
面貌の写実的表現は見事で、山岳修行者の持つ神秘性を、尊像としての品格を失わずに具現化している。通常、役行者像といえば、長頭巾をかぶり、顎鬚を伸ばし、僧衣に袈裟を掛け、右手には錫杖を持ち、高下駄を履いて、磐座に腰掛ける姿が一般的である。また、二鬼を伴う場合が多い。当像は、草履を履いている点、右足を下した半跏像である点、右手に経巻、左手に蓮華を持つ点、また二鬼像を伴わない点で特異である。山岳信仰の歴史を物語る貴重な一体といえる。

聖観音坐像

年代:平安時代 中期
像高65.1cm
上腕部から天衣まで1本から彫出する徹底した一本造りの像。現状は聖観音像といえるが、両肘先が後補であることから、当初は他の尊格(例えば大日如来像)であった可能性もある。

十二神将立像

年代:鎌倉時代 後期
像高90cm弱程の三尺立像。
珊底羅(サンテラ)
迷企羅(メキラ)
安底羅(アンテラ)
伐折羅(バサラ)
額儞羅(アニラ)
宮毘羅(クビラ)
毘羯羅(ビカラ)
摩虎羅(マコラ)
招杜羅(シュウトラ)
波夷羅(ハイラ)
真達羅(シンダラ)
因達羅(インダラ)

吉祥天立像

年代:平安時代 後期
像90.7cm
県内では数少ない吉祥天像として誠に貴重な一体。

金剛力士像頭部(阿形)

年代:平安時代
残欠総高48.7cm
眉を逆八字に怒らせ、目尻を吊り上げて割目した威怒相。口を大きく開けて歯と舌を見せている。また、目尻に幾筋もの皺を現しているのが特徴的。頭部と体部が別材で構成され、面部の造作をわずかに左右対称を崩して表現されている。さらに、髻元には釘で何かを留めていたと思われる痕跡がある。 当初は総高250cm前後の金剛力士像であったと推定される。

如来形仏面

年代:平安時代 後期
残高62.2cm
檜の良材を使用して造られており、優れた像容などから、名のある仏師の作品と推定される。当初は頭体幹部一本であったと思われ、割首をした跡が首に残っている。半球状の肉髻を高く大きく表し、粒の細かな螺髪が整然と刻み出されている。目鼻立ちは柔らかく彫出されている。

不動明王立像(小)

年代:平安時代 初期
像高96.2cm
眉を逆八字に怒らせ、肩はいかり肩で体幅は比較的広く、腹奥が大きい。左耳辺では髪を二束に分け、左耳の上半分を露出させているなど、個性的な作例である

日光菩薩 月光菩薩

薬師如来の左右に脇侍として祀られている。