阿閃如来像といえば、東寺の講堂内の立体曼荼羅にある阿閃如来像が有名です。
奈奈良・法隆寺大宝蔵殿南倉安置の木造坐像、和歌山・高野山親王院の銅造立像は重要文化財ですが、単体として祀られることはほとんどありません。
東寺の阿閃如来像とは
残念ながら、弘法大師空海は講堂が出来る前にお亡くなりになったので、全体像を見ることは出来なかったのですが、彼の理想は次に受け継がれました。
それが、「立体曼荼羅」です。
阿閃如来像は五智如来として大日如来を囲む位置に置かれております。
正式名
阿閃如来坐像(木造漆箔)
高さ
像高 144㎝
制作年代
平安時代7世紀~8世紀初に作られたが火災によって消失、現在のものは江戸時代中期作
東寺の阿閃如来像の歴史
東寺が国宝だというのもそうなのですが、弘法大師空海が天皇から託されて、密教を広げようとしたお寺でもあります。
東寺は、唯一残る平安京の遺構で、創建からおよそ、1200年。
平成6年、1994年に世界遺産として登録されました。
平安遷都とともに建立された東寺は官寺、つまり国立の寺院で桓武天皇のあとに即位した嵯峨天皇は、唐で新しい仏教、密教を学んで帰国した弘法大師空海に託しました。
東寺を託された弘法大師空海は、密教の主尊である大日如来を境内の中心にすえ、広大な寺域に曼荼羅まんだらを表現しようとしたのかもしれません。
その中でも有名なのが、講堂にある、「立体魔曼荼羅」です。阿閦如来像はその中でも中央右奥に鎮座しております。
東寺の阿閃如来像の特徴
阿閃如来は梵語名アクショーブヤの音訳であると言われており、 鏡のように全てを映し出すという意味で「大円鏡智」と呼ばれる智を表します。
左手で納衣の端を握り、右手は降魔印を結んでいます。
降魔印(触地印とも呼ばれます。)とは、悟りを開いた釈迦に挑んだ悪魔に対し、 釈迦が指先を地面に触れると地神が現れ、釈迦の悟りを証明し、悪魔を退散させたとの逸話から、 悪魔を退ける身振りとして地面に触るしぐさをいいます。
顕教における薬師如来と同じ東方に位置することから同尊とする考え方もあり、 阿閃如来は病いを治すといわれる場合もあります。
大日如来以外の如来は、1枚の衣をまとうだけで、装飾品は身につけません。
悟りを開いた釈迦の姿を表しているとされます。 また、頭部は如来独特の細かいカールをした髪、螺髪(らほつ)となっており、 開いた蓮の花の上に結跏座(足の裏を上にしたあぐら)されています。