阿弥陀如来とはどういった役割や立場、ご利益、歴史があるのでしょうか?
阿弥陀様と私たちは親しみを込めて呼んでいますが、本当のお姿を実は知らないですよね。
3つの呼び名があり、薬師如来(やくしにょらい、梵: Bhaiṣajyaguru、バイシャジヤグル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも表示されます。
一般的には薬師如来で通じていると思います。
そんな薬師如来さまの本当の姿をご紹介します。
薬師如来とは
別名
薬師瑠璃光如来、バイシャジグル
眷属
日光菩薩、月光菩薩、十二神将
所在
東方浄瑠璃世界
立場
如来ですから、一番高い位にいるのは間違いありません。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主です。
菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれています。
瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている如来です。
無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集めていることでもちょっと珍しい如来です。
手には薬壷人びとの病を いやし、苦悩から救うとされる如来。
サンスクリット語のバイシャジャ・グルの漢訳。薬師瑠璃光如来とも呼ばれます。
薬師は修行時代に十二の大願を成就して悟りを得たました。
仏となった薬師は、阿弥陀如来が西方の極楽浄土に住むのに対して、東方の浄瑠璃世界の主となったといわれます。
治療に優れた能力を発揮する仏として重んじられ、用明天皇の遺命を受けた推古天皇と聖徳太子が、法隆寺金堂の薬師像を造立したのは、六〇七年(推古十五)のこととされています。
薬師信仰が盛んになるのは七世紀末以後です。
六八〇年(天武八)には天武天皇が薬師寺建立を発願して后の病気平癒を祈り、七二〇年(養老四)には、藤原不比等の病気平癒のために諸寺で『薬師経』が読まれています。
また、七四五年(天平十七)には、聖武天皇の病気平癒を願って薬師如来に罪を懺悔する薬師悔過がおこなわれました。
このように、天皇家や上流貴族の病気の際は薬師如来に祈願するのが通例でした。
平安時代に入り密教が盛んになると、薬師七体を並べて祈る七仏薬師法が流行しました。
十世紀の中ごろ、天台宗の僧侶 良源が藤原摂関家の安産祈願の際にこの七仏薬師法をおこなって以来、有名になった。
民間でも薬師如来は早くから治病の仏とされたが、観音菩薩や地蔵菩薩の信仰ほどには盛んでわありませんでした。
ことに室町時代ころを境として、民衆に親しみ深い地蔵菩薩への信仰が広がり、治病信仰の中心的地位も地蔵菩薩にとってかわられました。
宗派
真言宗では顕教系の如来とされ、本来あまり重視されていません。
一方で伝統的に皇室と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の帝たる天皇と結び付けられることもありました。
東方の如来という事から五智如来の阿閦如来とも同一視されることもあります。。
また、チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されています。
天台宗系では、山王一実神道によって日光東照宮に祭祀され、東照権現信仰では薬師如来を本地としました。
また、徳川家康は生母於大の方が鳳来寺(愛知県新城市)の本尊の薬師如来に祈願して誕生したと言われ、家康は薬師如来が人間界に現れたものとも言われています。
ご利益
病気治癒(特に目病)、健康長寿、災難除去、安産祈願、現世利益
※ちなみにお寺は仏様と相談するところで、神社は神様に誓いを立てる場所です。
阿弥陀如来の真言
オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ